実は私もキレました
次女の 中学の 数学教師に・・・
ブログで知り合った 笹川先生(塾経営&講師)のところで、
訳の分からん 高校数学教師の話題が出ており
それにキレた 笹川先生に、
長女の高校の 数学の先生をはじめ
自分自身の 学生生活の中でも、
子どもたちの 学校生活の中でも
ヒドい!
と思う 数学教師は、ほとんど無いとコメントした 私。
(一例だけ、長女の 中2の数学の先生は 教科書を読むだけで
学級経営も 「子どもが自分で気づくまで口を出さない」 主義
すなわち、放任主義の親みたいなものよね。
それで 授業崩壊を招いていたけど
確かに悪い人ではなかった (学年主任談) とは思う)
(笹川先生へのコメント)
私は 良くわからないのですが
公教育上で 使える公式などの中で、
答えを 出さざるを得なくて
逆に、訳わからないようになっていることもあるのかな?
とも思います。
生徒の質も 多様化していて
小中学校の基礎を 進学校と呼ぶ高校に通う 高校生でさえ
本当に身につけているのか?
さえ、疑問だったり。
うちの子の高校は 部活がありません。
それだけでも、
先生がたの時間は 授業に かなり費やすことができます。
子どもたちに 充実した高校生活を送らせたいと思うほど
自分を苦しい状況に陥らせてしまっていることも ままあり
本来の授業に しわ寄せの来ている高校も あるのかな?
とも思います。
その高校で なにをしてほしいのか
本当は、そこへ通う生徒が 教師と話し合い
親もまた、しっかりと 求めるものを伝えて
両者の思いを 受けとめ合うことが 大切なのではないかと 思います。
「部活はしなくていいから、受験に役立つことを教えてほしい」
「受験のためのテクニックの勉強ではなく もっと それぞれの学問の楽しみを教えてほしい」
そのくらいのことを 言葉にできる 高校生になってもらいたいな・・・
と思います。
中学生でも、
高校生でも、
そして大学生でも
疑問に感じたことは 言葉にして伝えることは
当たり前のことなんだよって
そういう安心感を与えるのが、
おとなの役目だと、
私は思うのです。
うちの高校生の学校では、
それを 受けとめる先生が いらっしゃるし
下の次女の中学校でも、
ちゃんと そういう先生が 存在していてくださって
私は 本当に感謝しています。
私自身、
普通の母親でしかなく、
学問的に 何かを極めた人間ではないけれど
日常の中で、
子どもと関わる先生がたと お話していると
教育学部を出られた先生は、
子どもを しっかりと 見てくださっているし
学力も つけさせようとしている上に、
その子 その子の 将来に向けて
今、どういうことを 必要としているのか
毎日、悩みながら もがきながら
精一杯、子どもと向き合ってくださっていると 感じます。
たとえば、間違えた解答だったら、
親が 聞いたっていいと思うのです。
(本当は生徒が言うのがベストだけれど)
それだけ、
我が子の教育に関心のある親がいると、
先生がたに 伝わるだけでも
学校も 先生も 変わります。
たとえ 優れた先生と出会わない 生徒の中でも
親や、他のおとなの影響で、
自分をみつける人間も出てくるし
いくら、学力が高くても、
本質を見失う人間もいる。
力量のない教師は
確かに存在するけれど、
学校の中では
そういう教師に 別の面で 救われている生徒もいて
学校という 人間関係を 勉強する場では
間違いだけを正すだけのものではなく
失敗して、
そこから 何を 見出すのか? も
大事なことなのかもしれないなって 思います。
まあね。
だから 理想論と言われてしまえば、
それまでなのですが。
でも、
子育てをしている母親は、
理想を捨てて
現実だけを子どもに伝えて
未来に希望がもてないような思いを
我が子には 持たせたくないなって思います。
どんな状況でも、
未来を信じて 生きていける子どもを
育てていかなきゃならないと思うので…
人生、
失敗することだってあるよって、
温かい気持ちを持てる
母親になりたいなって思います。
(自戒をこめて)
と、こういう私の気持ちは今もかわりはない。
で。
実は私もキレました !
ここで、問題です。
次の計算をしましょう!
51÷(-3)=(次女 -17 : 数学教諭 -27)
(-5/6)÷(-10)=(次女 1/12 : 数学教諭 -1/12)
(2a-4)-(-a+4)=(次女 3a-8 : 数学教諭 a-8)
a=-1,b=-5 の時、3a-4b+9 の値(次女 26 : 数学教諭 14)
これは、
中学1年生の次女の冬休みの宿題の一部で、
プリント1枚に 10~15問程度の
簡単な基礎計算(正負の数、文字と式)が4枚。
この答え合わせは授業でするでもなく
解答(解説も無く(確かに解説は必要とは思えないが)正答の数字を羅列した)を
数学教諭が生徒に渡して 完了。
で。
約50問中4問の 誤答があった。
「私の答えが合っているよね?」と、疑問を伝える次女。
本当は、
解答が配られたら 生徒が自分で 答え合わせをしなければならない。
そこで、
答えの間違えをみつけたら 先生に指摘すべきなのだ。
あるいは、親も、
冬休みに 子どもが 一生懸命に宿題に取り組んでいたら
答え合わせを一緒にして、
こんなあり得ない過ちには、
親が気づいてやらねば
この解答を正答と思い、
正しい答えを導き出した生徒は
自分を疑い
間違えた解答が正答であった場合、
間違えを間違えと認識できない
生徒が出てくる。
それを、怖いと思わずにいて よいのだろうか?
教師も 人間。
間違えてもいいと思う。
しかし、授業で答え合わせをしない以上
この解答に羅列された数字が、
授業と同じだけの意味を持つ。
それに対しては、幾度も見直しをし、
生徒に 誤った知識を与えてはならないのだと思う。
とりあえず、
学年主任にこの件は告げ、
数学教諭へ話が行くのを待っている。
しかし、説明を聞かねば納得できないのも、わかっていただけるだろうか?
この過ちは、
(-)と(-)のような乗法・除法。
(+)(-)の加法・減法で、
中1生が 見事に間違えやすい問題である。
しかも、
代入の数字を 間違えて解答を出しているって…(呆)
本当に
「なぜ?こんな間違いをおとなが… しかも、中学数学の教師がするの?」
と、涙が出るほど情けない。
ぜひぜひ。
ここへ見えられる数学の先生や塾の先生がた、
お父様、お母様に
どう思われるかを お聞かせ願いたい。
こんな、ちっぽけな間違い、
笑って忘れてやるのが おとななのか…
それとも、47歳というベテランの先生に
ご自身の生徒へ対する
軽んじた気持ちに気づいていただくために、
私はアクションを起こすべきであろうか?
お時間ございます方は、
COCORO にある FOR WHOM THE BELL TOLLS – 誰がために鐘は鳴る の
拙文をお読みいただけましたら幸いです。
特に 教育 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
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