お正月といえば書き初め
手蹟 でございます。
今年は 書き初め の 宿題もなかったので、
まだ、 墨を 磨ることもしていない。
私は 小学1年から 中学1年まで お習字を習いに行っていた。
(部活が土日もあり、ピアノもお習字も続けられなかったのよ。昔は)
これでも 三段までとったのだよ。
学校で 習う 書道と、
お習字 の 先生 の 教え というのは 全然 違っていた。
筆は 洗っては いけない!
と いう お習字の先生の 教えを守る 私は、
学校で、
筆を洗うことに たいそう 躊躇いを 感じていた。
次女の筆が パサパサに 開いていると、
つい、そんな 昔のことを思い出し、
今でも、自分に そんな躊躇いの気持ちが 残っているのだなと 苦笑する。
筆を 洗った後で、
整えることを 知らない おおざっぱな 次女の性格を
彼女らしいと 思ったりもしながら…
お習字を 習っていたわりには、
学校で 書き初めが 選ばれるでもなく、
一緒に お習字を習っていた、
私より 級の下の 男の子の字が
みんなから 褒められたりもしていた。
多分。
私の習っていた 書道界では、
いわゆる 一般的な上手下手ではなく、
むしろ 手蹟を 選っていたのではないか と 思う。
同じ書道塾で 習っていた
妹の方が、
より整った文字を書く。
それでも、彼女は 賞をいただくことは 稀であった。
手蹟も 一般受けしないのね…
私って (笑)
で。
高校生の 時。
同級生の男子に 年賀状を書いた。
その男子の お父様が 私の文字を見て、
大変、褒めてくださったのだそうだ。
「この子は いい字を 書くな」
と。
それを、その子の お母様が 私の母に 話してくれた。
高校の お母様同士で、
そんな話ができる関係だった と いうことも、
いま思うと、
なんだか、嬉しいような こそばゆい 感覚になる。
中学時代にも、
体育祭の 私の姿を 写真に 撮って
「あんまり 可愛かったから」
と、
男子の お母様が
母に、
私の写真を くださったことがある。
(昔は、本当に 無邪気な 天使のような お嬢様だったの。 私… こんなんですけど)
実は、
おばさまキラーだったの。 私…
で。
友だちも みんな、
この年齢になると それぞれに 忙しく、
それでも、遅れながらも ポツリポツリと 年賀状が 届く。
(引っ越しで PCが壊れて、メールアドレス全部 消えました。 だから、 メール 来ないのよね (爆))
懐かしい その手蹟が その人を 思い出させる。
私の 文字を褒めてくださった お父様の 息子である 友だちも
「元気か?」
の 一言とともに、
その お父様の 面影を
私に 思い起こさせる。
(初日の出を見に行った時の 成城のおうちの子)
私の 心の父である 栗坪教授先生の文 字は、
男らしく 破天荒ぶり が 手蹟に 現れている。
そんなことを 思いながら、やっぱり、手で書かなくちゃ!と 思う この頃。
出産後、子育てで 手紙の書けなかった 時期があり
「最近、字を書いていないから、すっかり乱れた字になったわ」
と 嘆く私に
「変わらないよ。 マリコの字は。 私の好きな マリコの字だよ」
と 言ってくれた 友だちがいる。
すっかり文字を 書かなくて、
自分の文字を 見て 自己嫌悪に なるのだけどね。
やっぱり お手紙って いいよね と思う。
最近、パパになった 同級生。
「オレも いい父親してるぞ !」
の 文字が 嬉しい ♪
私も 懐かしい人に お手紙しようかな
自分の 手蹟 を 懐かしく …
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある THE WAY WE WERE – 追憶 の
想い出すこと の 拙文をお読みいただけましたら幸いです。
母が 弟の 未来のために
作った法人 を
設立年に 生まれた
私の 長女が 後継者として
経営の 勉強を しております。
亡くなった母の 戒名
「純篤院日節信女」
より 依拠しております。
四半世紀前に 亡くなった母が
今も 孫の 真由子を 見守るように
皆様の 深い 愛情を いただけましたら 幸いです。
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