今日は だめだ!弱音を吐いてしまおう
私は とても 透明な人間なのかもしれない
と 子どものようなことを 言ってみる。
「マリコさんと お話ししたいから」
と 次女の 同級生の男の子のお母さんに 誘われ お話したのだけどね。
私は 思ってることを、
隠すこと無く 口にする人間で、
これまでの 人との交わりの中で
自分を 偽ったり 飾ったり 隠したりして
相手と接するなんて 失礼なことは できなかったし
今もできない。
その人が 私に 興味を持ったのは、
私が 道に迷ったおばあさんに 道を 教えた後
再び そのおばあさんと出会い、
そのおばあさんと 一緒に、
私が 右往左往して 場所を 探している姿を 見て
「おもしろい人」
と 思ったのだと…
でね。
私のことは おもしろい人だと
感心してくれていたのだけどね。
あなたのように モノ言える人には なれないわ
とおっしゃる。
あははは
私は、
別に モノ言える人 の つもりはなくて
お腹に 疑問や 不満を溜めて、
それを 影で 言いまくるようなことが
ただただ、
出来ないだけのこと なんだよね。
「中学校の勉強は 高校受験の 点数が取れる勉強を してくれればいい。 でも それをしてくれないから 塾に 行くのだよね。」
と言われた。
私は
子どもに 受験の問題を解くためのテクニックを 身につけるのは
もっと後でいいんじゃないかな?
って 思っているの。
鍵を渡して
「さあ。これで扉を開けなさい」
って言えば、
手っ取り早いけれど
それでは 本当の力にはならない。
上の子の 数学の先生は
「今日は 自分で公式を作ろう! 今まで 習ったことで 出来るはずだ」
と提案して、
子どもたちが それに対して 迷っていたら、
少しずつ ヒントを与えて
次々に 子どもたちの鉛筆を持つ手が 動いていった。
それで、
自分が これまでに培ってきたことが、
こうして 数学の公式を 生み出せるんだって
自信につながる・・・
そういうことが 大切なことで、
そういうことを 教えてくださる先生が
ちゃんと、ここにいるんだもの。
下にいる層の子たちを 救い上げるだけの 授業をしていたら
上にいる子たち、中間層の子たちも 一緒に堕ちていって、
全体のレベルは どんどん下がる。
むしろ、
私たちの子の 担任の先生のように
ハイレベルな知識を提示して、
そこに行き着くために
今、どういう勉強をするのか?
ってことを 子どもたちに 教えてくださる
そういう方法の方が
全体として向上すると 思うのだけどね。
それでも、
基礎の定着のために、
家でやるべき 計算練習や 漢字の学習を
授業の中で 時間をとってくれているのだし、
他教科の先生が 漢字の練習や 試験をしてくれる。
そうやって、
底辺層の子たちの フォローもしていながら、
全体のモチベーションを 上げようと
努力してくださっていると 思うのね。
皆が皆、
理解できる授業なんて 無理なことだし、
答えを出すだけの授業も 無意味じゃないかなって 思うのだけど。
うちは、塾にも 行ってないけれど、
授業を聞いていれば 絶対にわかるはず。
わからないのは、
聞いていないだけなんだから
どの先生の授業も 真剣に受けなさい!
とは 言っているのだけどね。
どの先生も、手は 抜いていないのだけど、
生徒の方が それを聞けないから 困るんだよね。
だから、答えの鍵を渡すだけでなくて、
この上にある 知識を得るために
じゃあ、ここはどうしたらいいんだろう?
こうしてみようか?
って考えることが
中学1,2年生の今は 必要なんじゃないかなって 思うの。
だから、
試験の答えを出すための勉強も
もちろん大事だけれど、
それは 3年生になって
練習を重ねてからでも 遅くはないし、
今は、簡単に 鍵を渡す時期ではないかなって…
我が子について
うちの子は、自分のやりたいことを勉強するために
大学は東京で… と考えている。
だから、
今、この場所で 妥協していては、]
将来 自分でやりたいことが できなくなってしまう。
ビジョンを持たせるために…、
常にモチベーションを保てるように… と
親子で 会話をし、
自分たちの考えを 伝え合おうとしている。
「試験範囲のプリントが みつからないの。」
とおっしゃるので ファックスをした。
うちでは、範囲表をリビングに貼り、
親も共に確認し 試験勉強の漏れが
なるべく無いようにと、一緒に 見てやっている。
「範囲表。せっかく もらったけれど、うちの子は 勉強する気持ちが 全くないみたい」
「勉強は 子どもの責任に任せているの。困るのは 本人なんだから」
と、
お返事をいただいた。
昔々。
子どもたちが 小学校の 1年生の時。
大雨が 降ったので、学校まで 車で迎えに行き、
近所の1年生を 数人乗せて 送り届けた。
「すごい雨だったから 助かったわ」
という お礼の電話が 大半だったが
「うちの子は 他人の家の車には 乗らないようにさせています。
二度と、そういう甘えたことは させないでください」
と言われ、
そういう おうちもあるのだと 思った。
そのお子さんが、
私が 学校へ 読み聞かせに行った 朝
「携帯電話を 貸してください」
と言った。
「どうしたの?」
と聞いたら、 次女が 脇から
「今日、持ってこなくてはいけないものを 忘れたんだって。
職員室で 電話を借りたくとも、先生たち会議中だから…」
「電話 貸してもいいんだけど…」
彼女の母親を思い出し、
渋る私に
「早く 貸してください」
と 泣きそうな彼女をみて、
黙って手渡した。
自分が 幼い頃。
小学校の赤電話で、泣きながら
「ママ… お昼までに 体操服 持って来て。忘れちゃった…」
と 電話をする自分と 重なった。
そして、その日の夕方。
「私が 仕事で出ていて、夫が 忘れ物を 学校に届けたようですが
そういう 甘やかしたことをしては 本人のために ならないので
二度と そういうことを しないでください」
「すみません。つい… 可哀相になって…」(なぜ 私 謝る? と 思いつつ)
「うちでは、そういうの 迷惑なんです!」
「申し訳ありません。私が 学校へ行くのを 娘が知っていて 助け舟を出したようで…
うちの子にも 注意しておきますから、
○○ちゃんを 叱らないでくださいね。
私が、余計なことをしてしまって すみません」
こうした好意を、
嫌う人がいるのは わかっていたのにね。
学習していませんか? 私…
でもね。
私は、困っている人には、出来る 手は 差し伸べたいと 思ってしまう。
そうして、子どもたちにも、
困っているお友だちには 自分が出来る範囲で
助けてあげられることは 助けてあげられるような
そんな子どもに なってもらいたい。
子ども同士で 相手の不安を感じたら それに気づいてあげられるような 子になってほしい。
つまらないことだけどね
長女も 次女も、
小学校1年生の時から、図工の材料は たくさん持たせた。
「もしも、忘れた子がいたら、
誰か 使いたいものがあったら
どうぞ。いっぱいあるからいいよ。 って、あげなさい」
と。
クラスが 変わる度に、先生が
「いろいろ準備をしてくださって ありがとうございます。
おうちで、全く持って来られない子もいて、
私も いろいろ準備はしているのですが
姫ちゃん(お姉ちゃん)の いろんな素材や材料が
本当に 子どもたちの製作に 役立って 助かりました」
と おっしゃってくださった。
「自分だけの材料ではなく、みんなで 使ってもらった方が、
子どもにとっても いい勉強になります。
同じ素材でも 自分の視点と お友だちの視点では、
出来栄えが こんなに違うんだと そこに気づくことができて、
こちらこそ、学級の中で いい勉強をさせてただきました」
と お礼を言った。
私ね。
学校って シェアすることを 学ぶ場でもあるのではないかな? って思う。
神さまでは ないからね。
なんでも できるわけない。
自分には 欠けてるところがあって、
誰にでも 足りないところはある。
「人は、みな、目に見えない障害を かかえて生きている」
この言葉を 知ったのは いつだったろうか?
小学校か 中学校の まだ幼い心にも、
誰もが、完璧ではなく、
足りないものを抱えて生きている
という意識が理解できた。
自分のできることは 精一杯やろう。
誰かの手助けができるならば、できることをしよう。
そして、自分に足りないものは 助けてもらっても いいんだよね?
と、思ったものであった。
私は、きっと、たくさんの人に 助けてもらってばかりだったのかな?
だから 自分らしく生きてこられたのかな?
それを返せるほど、
まだまだ、人間が 練れていないのかもしれないな。
だめだ!弱音を吐いてしまおう
ちょっと、弱音を吐いちゃうと
人と話をするのが 怖くなっちゃってるのよね… 私
人の心を信じたい… ホントはね…
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶 の
拙文を お読みいただけましたら 幸いです。
特に 憎まれママの子育て日記 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
亡き弟が とても大切に思ってくれた 長女 が
亡き母と 弟が 新規事業を起こすために
奇遇にも 長女の生誕の年に 会社を創業しました。
それが ピュア株式会社 です。
手前味噌ではございますが とても優しく そして 精神の美しい PURE な 女性に育ってくれました。
亡き母 亡き弟 の 愛情を一身に受け 素直に成長した結果と
二人の愛情の深さに 心から感謝しています。
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