窮屈にしているのは誰 ? なのでしょうね。
世の中
物騒になったものです。
小中学校では 不審者情報があった場合
お便りや HPで
保護者あてに 不審者情報を速やかに 提供することが 常となっています。
次女の中学でも それは 当然出すべき情報として 連絡がされていました。
あの日までは…
その日。
中学の 各学年主任と 各学年の 学年学級委員長でとある会議が ありました。
保護者の側と 学校側での 意識のズレを 解消するための 話し合いでした。
その中で、ある一人のお母様は、大変 個人的な ことがらばかりを 話されており
内心、 私は、 こういうことの 話し合いではないはず… と 思っておりました。
私は みんな とか 私たち という責任回避が苦手
立て板に 水のように、お一人で語り始め 問題生徒のことで 困っている
(なにが困っているのでしょう?)
ことから、自分は これだけ 学校のことを考えている
(なにを考えているのでしょう?)
ことから、最終的に
「私達 (って、 「達」 を使うな! と思うのですが…) は
こうして話ができますが
普通の お母さんは 先生たちに 言いたいことがあっても 言えないのです」
と いうことを 訴えられたので
「言いたいこと と 言うより、疑問に感じることは お聞きして
伝えたいことは 伝えればいいことで
そういうことに 学校も 先生がたも 答えてくださるということを
言えないわ という 保護者の方に 伝えていくことが
「私達」 の役目 ですよね?」
と、お話ししたら
「だって、あなたは 先生がたの授業だって 参観されているし
そういう人なら 言えるでしょうけど、
普通のお母さんは 言えないのよ。
あなたは 特別だから…
そうやって、学校に 一生懸命に
関わる人ばかりでは ないのだから」
と、おっしゃる。
嫉妬も 昔から 苦手
「あら~ 私、 自分の子どもが どういう授業を 受けさせて いただいているのだろうと
ただ、好奇心で 参観させて いただいただけですよ。
その中で 先生がたが
どれだけ 授業に 工夫されていらっしゃるか
知る機会になって
「私」 にとっては、
とても 有り難い 時間になりましたが
お忙しいお母様に 同じようにしろなんて、
全く思いませんし、
それを偉いとも思いません。
そうした 参観することだけが 学校に関わることでも
ものを言う資格につながる とも思えないのですけれど…
それは、人それぞれに 関わり方の 違いがあって いい と思いますよ。
ただ、学校は いつでも 疑問に答えようとしてくださる
風通しの良い場所になってほしいですよね」
と、言ったわけです。
さらに、そのお母様は
「不審者情報なんですけど、これはどう見ても、
生徒が遅刻の言い訳に不審者と遭った と
嘘をついているように思います。
下の子の小学校は、中学で 不審者情報が出ると、
保護者が 学校まで迎えに行くので
真実でない 嘘の情報は 出さないでもらいたいのです。
ちゃんと、本当か 嘘かを 見極めて 情報を出してください!」
と、言い出しました。
先生が
「生徒が、こういう目に遭いました・・・ と言ったら
信用して、他の生徒にも 被害がないように
と、思って 不審者情報を出していました。
生徒の話すことを 頭から
嘘だろうと決めつけて 判断を決めることは できません」
とおっしゃると
(教員でも 親でも まずは 子どもの言葉を信じることは 信頼関係の基本ですよね) ← と 私は思う
「でも、小学校のお母様たちは、
いちいち 中学校の嘘の話に踊らされて
子どもを 迎えに行くなんて って、 怒っています」
(なぜ 嘘と決めつける? 本当に怒っているのは貴女だけでは?と思ったが…)
この話し合いの後で、
「私、不審者情報を出すって
学校としては
大変な リスクを負って やってくださってると 思うのよ。
もちろん、すべて真実ではないと思うし、
嘘の情報もあるかもしれない。
でも、本当に不審者が出た時に、それを中学校は把握していたのに
情報を出さなかったせいで もっと弱い 小学生が 犠牲になったら…
と いうところで
生徒の言葉を信じて 不審者情報を流していたのだと思う。
こうして 情報を お便りで 出すまでに 至ったのは
それが 必要だと 思う 親たちの 声が あったのだと思うよ。
それを、一人の親の言葉で 不審者情報が 出なくなることの方が 怖いと思うなあ。
むしろ 小学校の方で、
なにがなんでも お迎えって いう やり方を 考え直すべきじゃない?
保護者それぞれに 受取り方も 異なるのだし。
中学校から 情報を吟味してってしていたら、
迅速な情報は出せないし
結局、真実の不審者情報が 出なくなる恐れがあると思うけど…
私は、こういう 子どもの生命に関わる情報は、
とにかく 出すべきだと思う。
そして、それにたいして
個々で 対応を
親と子ども、
あるいは 学校をあげて 考えることになれば
不審者情報を出す意味は あると思うけれどね」
と、彼女に お伝えしました。
そして、やはり この日以来、不審者情報は 書面を通じて出ることは 無くなりましたとさ。
窮屈にしているのは誰 ? なんでしょうね ?
教室で、口頭で 先生から生徒へは 注意があるようだけれど、
親には 一切 知らされません。
我が家は 大変暗い、入り組んだ場所にあります。
都会から 田舎に 引っ越した子どもが 帰宅途中に殺される事件は 凄惨なものでした。
もしも・・・と思うと、じっとしていられず、 暗くなる日は 迎えに行きます。
窮屈にしているのは誰 ?
先生がたとお話しした時に
「家庭訪問はいらない」と、おっしゃるお母様がおりました。
後で、学年主任に
「家庭訪問が いらないと思う 親御さんもいる一方で、
家庭で このように過ごしていますと
わかっていただきたい ご家庭も あるかと思います。
どちらかを選ぶでも良し、
すべて無くすと 簡単に答えを 出さなくとも 良いと思うのですが…」
と、お話しすると
「わかってます。個人的見解と受けとめておりますから」
と言われました。
この時、出産でお休みされている先生にお祝いは出さないの?
と尋ねた方がいました。
その先生の産休前に
「先生に 赤ちゃんが産まれたら なにかお祝いを考えた方が いいでしょうか?」
と 私が尋ねた時に
「そんな 妊娠して 休まれて 生徒が迷惑するのに…」
と、言った方でした。
こういう思いを持つ人が 一人でもいるのなら、
PTAで なにもしない方がいいと
私は思いました。
心が無いのに 形だけ整えることで、満足するのはどうか? と思うからです。
個人的な場所で ものを言うのと、
公の場でものを言うのとでは
言葉の重さが異なるのですよ。
不用意に 個人的な思いで ものを言ったがために、
子どもの生活や 安全を 窮屈にしているのは 一体 誰なのでしょうね。
そうして、学校を 隠蔽体質だと批判しているので、
本末転倒だな と感じるわけです。
小学校中学校の連携も、まずは子どもの安全からと始まったことなのでしょう。
そこも ぶった切っておいて
「もっと 小学校 中学校と 連携を取ってください!」
と言ってもねえ・・・
自分が見えていないのって 怖いなあと、
反面教師として 我が身も振り返る 良い機会になりましたとさ。
すごいね。
反面教師 って毛沢東発案の言葉なんだって。
でも、一番の學びは 反面教師 だと
私は思ってる。
そういう人に 私はなりたくない!
お時間ございます方は、
COCORO にある FOR WHOM THE BELL TOLLS – 誰がために鐘は鳴る の
拙文をお読みいただけましたら幸いです。
特に 教育 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
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