ここ数日 小川未明 童話集を
次女が 眠る前に 読んであげている。
私自身の 思い入れのある 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
1921年に 発表された作品である。
およそ 100年近い年月を経て、
この美しさは なんと言ったら いいのだろう。
会話に出てくる ことばの美しさは
まさに「日本語の美しさ」とも言うべき言葉だ。
「海の神さまを祭った お宮さまだもの、
きれいなろうそくを あげれば、
神さまも お喜びなさるのに きまっている」
そして 風景景色の描写
「北方の海の色は 青うございました。
あるとき 岩の上に 女の人魚があがって、
あたりの景色をながめながら 休んでいました。
雲間から もれた月の光が さびしく
波の上を 照らしていました。
どちらを見ても 限りない ものすごい波が、
うねうねと 動いているのであります。」
童話なので 文庫本のページで 5,6ページから 長くても 15ページほどである。
一編ずつ 毎晩読んでいる。
「しいの実」は 田舎から都会に 奉公に来ている おたけのもとに
妹から届いた「しいの実」と ともに入れられた 手紙から始まる。
「今年も 神社の森のしいの実が
たくさん落ちたから ひろいにいきました。
弟をおぶって ひろうのだからほかの子のように、
よけいに ひろえなかったので ざんねんです。
去年は 姉さんと たくさん ひろったのを 思い出して、
いまごろ 姉さんは どうしていなさるだろうと 思っています……」
長女と 次女には こういう 美しいことばを 美しいと 思える心。
そして こういう 美しい日本の言葉を 使える人間になってもらいたいと 思っている。
「金の輪」の 死 についての表現も
死は 迎えにくるのだ~
という 表現が
私には とても 共感できる。
子どもに 死が 恐怖としてではなく
(私自身は 死は 怖いものではなく 受け入れる 受け入らざるに 関わらず
誰にでも訪れる 人間にとって 一番平等なものと 考えているのだが)
抗う必要の無い 訪れるべきものという感覚で
とらえられるのではないかと 思っている。
作品の奥に 秘められた思いが あり、
それが 子どもの心に(おとなの心にも)
す~っと 滲み込む力を 持っていると思う。
ちなみに 次女は 小学校4年生くらいから 突然 本が になった。
それまで マンガしか読んでいなかったのだが
長女にこんな中学生活送ってほしいと買った「生徒諸君」も
次女が夢中になって読んでいた)
ミヒャエルエンデの「モモ」を読み出してから
同じくエンデの「はてしない物語」
映画にもなった「ナルニア国物語」も
全巻読み切ってしまった。
(次女と観に行った『ライラの冒険』)
本の力は 大きいな~と思う。
肝心の 長女と言えば ファッション誌や マンガばかりなのだが、
中学校の 朝読書の おかげで
私の本棚から 何か 引っ張りだすようになった。
(引越しで ブックオフ に 随分と 寄付してしまったものですが)
一応 彼女のセンスに 合うよう
映画 「有頂天ホテル」
などにハマる 彼女のツボにくる
三谷幸喜さんのエッセイ などを、
さりげなく 「読んでみたら?」 と言う。
「え~!つまらなそう」
と 当初 言ってるものの
「結構 面白くて 笑い出しそうになった」
ふふふ。
彼女のツボは 私と異なっているけれど お見通しさ! と
一人で (ちびまるこちゃんの 野口さんのように) ほくそ笑むのであった。
くっくっくくく~
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶 の
拙文を お読みいただけましたら 幸いです。
特に 憎まれママの子育て日記 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
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