中間管理職 とはつらいものだ。
日本の企業は 出世のために転勤して 経験を積ませる。
あ〜、 なんか 江戸時代の 大名行列みたい。
中間管理職 は 実に 苦労の多い 大変な 役割りだ。
元配偶者は、それまで どちらかというと、
気楽に〜 とりあえず 自分のやらねばならないことを
いかに効率よく 仲間と楽しみながらやるか〜 と考えていた。
ところが、上司の意見を拝聴し、
それに応える指示を 部下に出し、
部下に 気持ちよく働いてもらう という
「 中間管理職 」を 仰せつかまったわけである。
転勤についていくことを決めた理由 の一番は
当時の配偶者のことが 心配だったからなのだ。
私自身も 一人で子どもと 向かい合いながら、
日々起こるであろうことに 耐えていけるだろうか
という、
自分への不安が あったことも
大きな理由の ひとつであった。
年齢も上がるとともに、
まかされる仕事のレベルも上がる。
また、そこで共に仕事をする先輩も
それぞれ自分のやり方や派閥もあり、
暢気な主人は そこで周囲からあれこれ聞かされることで、
組織の足の引っ張り合い、
汚い部分や 人間として許せない部分に
改めて気付かされ、へこむことが結構あった。
なぜか、難しい人と組まされる仕事も多く、
それを ソツなくこなしているようで
実は ストレスが溜まって 辛い思いをしていることもよくあった。
海外へ出た時には 国際電話で 弱音を吐くので
「んなこたあ、私に言ったってしょうがないんだから、
本当に頭にきたら先輩当人に言ってみたら!」
「電話代、いくらかかると思ってるの〜!」
と、喝をいれること しきりだった。
知人の旦那さまが、
まかされていたお仕事から 離脱し
それが元で 悩み 自ら命を絶った。
私の中学時代の男の友人は 結婚したものの上手く行かずに 離婚。
アルバイトのような仕事をしていた。
冬のある深夜未明、
酔った勢いか タクシーの前に飛び出し 還らぬ人となった。
アルバイト先が 夢の国 であったことも とても哀しいことに思えた。
葬儀の日、
3時間かけて 彼に 最期のお別れに行った。
中学の時、共に 生徒会活動をし、
彼から 淡い恋心を 聞かされたこともあった。
彼の死の1年ほど前に中学の同窓会で
くたびれきった アル中気味の彼と再会し、
「僕の初恋の人だったんだ」
と独りごちた 彼の言葉に
聞こえない振りをした 私だった。
その彼の葬儀で、ずっと昔にお会いした
彼のお母様が 私の顔を見るなり
あなたが来てくれて どんなにか喜んでいることか。
あの子は いつも中学時代が
自分の一番輝いて 最高の時だったと 言っていたの。
だから、この先 生きていても
幸せなんて なかったのかもしれない
「お母様、でも、私は 決して彼のことは 忘れることはないです。ずっとずっと〜」
そう言って 彼と お別れをして帰った。
中学時代と変わらぬ姿が そこにあった。
ーーーーーーー 享年 36歳 ーーーーーーーー
お母様が そう言葉を 出さずにいられない
彼の苦しみを みていたのだろうと思うと
言うべき言葉は みつからず
それでも 彼が 最高という 中学時代を共にした仲間として
彼と 共有した思い出だけは、
私が 生きている限り 大切にしていきたい。
そんなことが重なって、
この人、一人で 何かあったらどうしよう〜
とくっついて来たわけで。
やはり、そこは 大変なポジションのようで、
すでに 過去数年、そのポジションは 無理だと
自分から 降格を願い出る人も数人いた。
まず、直属の上司が ワンマンで
部下が この人の言うことを聞かないというか 聞く気がない。
確かに話を聞くと、
自分のやる仕事をする能力もないのに
「さあ、やるぞ」と言いつつ
最後には 中間管理職の人間に「頼む」と 下駄を預ける。
思いつきで「これを明日までにやってみて」と言われ、
部下に話すと「やることないでしょう」と突き放される。
部下も 東北66県が 統廃合で 統一したため
過去の それぞれのやり方を 主張する。
そんなやり方しりません。
こっちはこういう方法です。
それって変じゃないですか。
あんな上司じゃ、やってらんねえ!
話を聞くと、文句しか言えないのか〜
いい年こいて妥協や折衷という言葉を知らんのか〜
と言いたくなるような人ばかり。
(中にはこのままじゃいかん!という人もいるようだが)
どちらかと言うと、上司の横暴には 腹を立てる気持ちも分かるし、
皆が そこまで嫌うだけの理由をもった 上司の人間性があるらしい。
でも、
中間管理職 って
結局、
上司の言うことを
例え 理不尽と感じることでも、
うま〜く部下に 話を持っていって、
気持ちよ〜く 仕事をしてもらうか
って仕事だからさあ。
部下の人たちも 子どもじゃないんだから
「あの人が言うから嫌!」って
そりゃあ、子ども以下じゃない。
うちの子達だって、理不尽なこと我慢して
学校に従ってるところいっぱいあるんだから。
上司にも あなたが 自分は これこれこれだけのことをしました。
って既成事実を見せて
それでも やはり無理があるようで、お力を貸してください
って 持っていけばいいじゃない。
やりもしないで、嫌だ!じゃだめでしょうが〜!
この私の言葉に対して
ふん! お前は 正論だよ。
でも正論じゃ どうしようもないこともあるんだ!
まあまあ〜失礼な
と思ったけれど、こう切り返した!
結局、人間は 正論を求めているのよ。
それが正しいんだから。
正論が真実なのよ!
学生時代
話し始めると 男性に嫌われる性格は
こういうところだと 分かっているものの
元配偶者の場合、
末っ子長男なので、
甘やかすと余計落ち込むので 喝を入れてやってるわけで。
同い年(干支はちがうけど)なので、
結構バンバン言い合う(私が一方的?)夫婦であった。
ここでのポジションは、
彼は若い方なので
部下の方が年上であったり、
女性のベテランさんがいたりと
古き良き 伝統的日本の会社風なので
余計にきつい部分が あるのだと思う。
彼と同じ立場で、前年からいる方が
共に仕事をしていたものの
この狭間の中で ちょっと限界らしく、
話を聞くと ちょっとノイローゼ気味かな?
という印象を受けていた。
元配偶者も 先輩と 愚痴を言い合いながら
二人で 暗い洞窟に 入り込んでしまうらしい。
「うちに 連れて来たら?
バカ話して 中間管理職 の マニュアルでも レクチャーしてあげる」
なんて言ってたのだが、
奥様も お子さんもいらっしゃるということで
じゃあ、家庭があれば そこが安らぎね〜
と、そっとしておきましょうと
(私のような悪妻をみせたくなかったのか……)
夏を迎えた。
その日は とても暑かった。
同じポジションで 主人より 5歳年上の先輩は
真面目で 報告書の数字ひとつの間違えも許さない
完璧主義な方で、
人間的にも信頼できる人だった。
その先輩は、しばらく会社に来れないと お休みしたりしていたので、
仕事の負荷をかけて〜と、主人にも負い目を感じ、
謝っていたと言うので
「家にいても 邪魔だから バンバン仕事やらせてください。
残業しないと 生活できないって お伝えしといて〜。
それと 今度 遊びにいらしてくださいって。」
と話していた。
ある日の休日〜
朝早く、昨日から先輩が帰らないと奥様から連絡があった。
元配偶者と先輩の部下で 親しくしていた二人で探しに行った。
その日、
長女は習い事で、いつも 彼女の父親が 車で送るのだが、
元配偶者が 車で出たため 電車で行くことになり、
ぶ〜ぶ〜 文句を言っていた。
「あなたねえ。どうして 人命に関わる時に
そういう 自分のことばっかり 言うの!
人間にとって 大事なことは そんなことじゃないんだよ!!」
私も 不安な気持ちが おさえられず、
つい 長女に 怒鳴っていた。
でもね。
自分さえよければって人間は つまんないよ。
これで みつかってくれたら、笑い話になるし。
本当に 苦しんでいる人がいるのに それを
見て見ぬふりする人間には なってほしくない。
長女は 黙って 駅に向かった。
「大丈夫ですか? みつかりましたか?」
と 元配偶者にメールした。
彼は 自らの手で死を選んだ。
誰もいない職場で……
彼を発見した時には
もう遅かった
いつも
「うちに来てもらったら?」
と言っていた。
それは 元配偶者も 自分の仕事のことで
悩んでいる姿が(本人は気付かぬうちに)見られたし
同じことで悩む その先輩と もっと
腹を割った話をしてもいいのではないかと
思っていたからだ。
その先輩が かなり悩み込んでいた姿と
元配偶者の姿とも重なっていた。
元配偶者が話す先輩の悩み = 元配偶者の悩み
でもあったから。
元配偶者は かなり辛い思いをしていると思う。
「オレは お前の弟の最期の姿も見ているから、
ショックは少ないよ。一緒にいた奴のが心配だ」
とは言っている。
私自身、弟の死とだぶって
先輩の話を聞いてから 涙が止まらなかった。
スーパーで 買い物をしていても
この日常の当たり前の生活を
終わりにしなければならなかった人がいるんだ
と思うと、辛くて仕方がなかった。
「うちに来てもらえば って 何度も言ったのは、
話を聞いていて あなた自身も すごいストレスで
紙一重だったからだよ。
そこを踏み越えてしまうのは、
誰でも あることかもしれない。
でも。
遠慮しているつもりだったけど、
もしかして 会って話してたら、
自分のこと 気にかけてくれる人がいてくれる
って、
救いになれたかもしれない
だからね。
これから、
ちっちゃな優しさを 周りに配っていこうよ。
後で、
あの時、もしかしてって思うなら、
失敗しても まず優しい気持ちを ちょこっと届けよう。
先輩は 決して 無駄な死に方したんじゃないよ。
そういう気持ちを もてる人になってほしい。
自分のような 寂しい人間がいて、
それに気付いてくれる人になってほしい。
って、
そういうメッセージを 残してくれたのかもしれない。
そういう優しさを もてるような人間になるチャンスを
くれたのかもしれない。」
そう 元配偶者に 話した。
死に逝く人は
本当に 最期をみてほしいと思う人に
シンパシーを 送るのかもしれない。
私の弟は 同じ家に住みながら
実の父に発見されず、
死後 2日経って
私が発見した。
同じ悩みを 共有するあなたと
もう一人の彼に みつけてほしかったのかもしれないよ。
「大切な人が亡くなって 10日以内に雨が降ったら 天が その人の死を 受け入れた証」
そんな昔話を 聞いた。
たとえ 自死であろうと
天から
何かの使命を受け
寿命を全うしたのであると。
人生の中で 自分と重なる時間を過ごす人は
地球上で考えたら
わずかの時間、
わずかの出会いである。
その中で、
死をもって、
生きることと 向かい合わせてくれたことに 感謝しよう。
それが、その人が 生きていた証で、
私達の中で 生き続けていくことになるのだから。
中間管理職 って大変だ!
上から押さえつけられ、
下から突き上げられ、
嫌味や文句の吐き出し口。
そういうお父さんたち、
いっぱい いるんだよね。
男の人は いっぱいいっぱい、
もう受け入れきれないってとこまで 我慢しちゃうんだよね。
でもさあ。 吐き出そうよ。
そこに受け止めてくれる人が きっといる。
子どもたちも〜
お父さん 頑張ってくれてるんだよ。
自分一人だったら、むかついて 殴って 会社辞めて、
それでも なんとか 生活できるかもしれない。
でも。
大事な子どもや 奥さんのために いっぱい 我慢してるんだよね。
お父さんの選んだお土産、センスないかもしれない。
でも、「ありがと〜!ちょ〜うれしい」って言ったら、
明日から またがんばるぞ〜って
すっごい 励みになるかもしれない。
それで
「今度一緒に買い物行こう」って
欲しいもの買ってもらいなよ。
息子とキャッチボールが夢 っていう
お父さんのために 10分 外で ボール投げしてみたら?
言えなかったこと 言いたいこと 言えるかもしれないよ。
夫を支える奥様方〜
長年 連れ添うと いろいろ不満だらけ、不備だらけ。
でも、お互い様よ。
この人と 結婚しようって 思った あの日を 思い出してみようか。
子どもの生まれた あの日を 思い出してみようか。
夫も 子どもも 闘ってるね。
外で働く奥様も 闘ってるよね。
だから 家庭では 全員で いっぱい愚痴言い合って、
楽しいこと いっぱいしようよ。
話をして 話を聞こう。
なにが大事なんだろう
分からないけれど、
生きていれば きっといいことある!
辛いこと、悲しいこと、嫌になること、頭にくること〜〜〜〜〜
そんなことが 重なって
どうでもいいや
って
投げたくなること
いっぱいある。
でも、
そういう時に 私の周りで 生きたかったのに
生きていけなかった人の思いが 現れる。
そうだよなあ。
生きていれば きっといいことあったはず。
きっと 笑顔になること あったはず。
今、私が 生きていられることは
その人たちの思いと、
生きている自分に関わる
人の優しさのおかげだと思っている。
明日からまた、
怒ったり、
笑ったり、
悲しいこと、
辛いこと、
いろいろあると思う。
まずは 自分が笑おう
夫や 子ども達が 笑顔を出せる 家庭にしよう。
夫、子ども、自分につながる、
たくさんの人の 愛情を感じ 感謝しよう。
新しい地で、あらためて 自分と 向き合うことができた。
どの人の死も なにひとつ 無駄な死はなく、
どの人生にも なにひとつ 無駄な経験はない。
44歳で 永眠された 志高き 人生の先輩に 合掌
(2006年 初夏)
謝辞
長文を拝読いただき、誠にありがとうざいます。
母と私と弟の生まれた冬を思い起こすような 冷たく厳しい
つらい記憶の記録でございますが、
家族であった時間にある
たくさんの愛情を 決して忘れることは できません。
お時間あれば、私が生まれ育った大切な家族の話をご高覧ください。
記憶の黙示録
昭和22年1月2日生まれの母の姉である伯母に、母の通夜か 告別式の日に
(忌日 2001年2月11日)
「まりちゃん。ママのことを書いて。ママがどんな風に生きてきたか。まりちゃんにしか書けない。」
その約束を、少しずつでも果たしたいと思っています。
お時間ございます方は、
過COノCO途 にある The Way We Were – 追憶 の
拙文を お読みいただけましたら 幸いです。
特に 過去の自分 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
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