闘う時 とは どのような時であろう。
先日(12月開催)、長女の通う高校で開催している 「土曜ゼミナール」で
別の被爆者の方のお話を伺う機会を得た。
長女が宮城県の県立高校に通っている時、
全人教育と呼べるような非常に良い教育の取り組みをしてくださっていた。
高校生たちの未来への広がりを感じさせる様々な講座を開講し、
その門戸を保護者にも分け与えていただいた。
今回お話をいただいたのは 木村緋紗子さん。
この方は広島で8歳の時に被爆され、お父様を亡くされた。
現在、被爆認定のために 認定訴訟の運動をされている。
前回は軍人・兵隊という立場で
原爆投下後の救済活動に携わった 被爆者の方のお話。
木村さんの資料 : これが人間か?! 掲載新聞
今回は市井の人である 現在で言えば小学2年生の子どもが受けた 被爆体験である。
我が子が家のがれきに埋まったまま 救い出せない母親が
「ごめんね。お母ちゃん行かなくちゃ」
と 我が子を置いて逃げた。
人間は そういうものです!
と、言い切る。
本当の地獄を見た者しか
言えない言葉。
NHK ヒバクシャからの手紙 木村緋紗子さん | 原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ
火傷を負い 蛆の湧いた祖父の蛆取りをさせられた子どもは
「いつまで、こんな嫌なことをしなくてはならないの」
と思い
大好きだった祖父が死んだ時
「これで蛆取りをしなくて済む」と
そのことを 心の中で喜んだのだと言う。
母の死を病院のロビーで待っていた私たち姉妹とその姿が重なった。
母の死を喜ぶ気持ちはなかったものの
いつまで続くのだろうか~という 疲れはあった。
終わりの見えない 真っ暗な鍾乳洞を
手探りで歩き続けている時
とにかく出口を~
灯りを~
求めてしまうのが
人間なのかもしれない
「現実は そういうものです」
と繰り返し
「本当は原爆のこと、戦争のことなんて話したくないのです」
と言う。
それは、この方の生きてきた 70年の人生の重みなのだと思う。
だから
「自分と同じような子どもを作ってはならない」
「普通に生活をしていた 普通の人間が 一瞬にして地獄に堕ちる不幸を
話すことで、二度と核を使わない世界にしたい」
という気持ちをもたれているのだ(現在進行形である)と思う。
そして、原爆という不幸に出会い
今なお苦しむ人が安心して生活を営めるよう
被爆認定の闘いをされているのだ。
年齢を経ると誰もが死ぬ。
病気になる。
だから、それを被爆と関連づけることもない!
というのが国の考えなのであろう。
しかし。
覚悟を決めて志願した軍人・兵隊と
戦争という 非常事態であっても
生活という 日常の営みの中で 生きていた人間にとっては
「死」を用意して生きてきた者と
不用意な「死」を被ったと思う者との
受けた重さが違ってくるのは、
当然なのだろうと思う。
その重さの分が、
「運動」という力になり「行動」につながっているのだろう。
非核
の思いは、
被爆者であっても、
そうでない者にとっても大きい。
前回、私は
母親として「広島・長崎の原爆投下やむなし」の世論が
若者の間で 増えつつあることに 恐怖を感じている~ と
この高校生たちの前で話した。
元軍人で元中学教師であった被爆者の方は
「自分で歴史の中の真実をみつけてほしい」
と語られた。
今回。
この講座を受講された高校生に
「どうして、あなたたちが、この被爆者の話を聞こうと思ったのか、それが一番知りたい」
と、問いかけた。
授業時間を超えて、生徒は一人一人、自分の言葉で自分の考えを述べた。
「世界で唯一の被爆国の日本人として知らないことは恥ずかしい」
「戦争のこと、被爆のこと、話したくないけれど話してくださるその気持ちを、しっかりと、受けとめたい」
「自分は戦争を知らないけれど、お話を聞いて、聞いたことを誰かに伝えたい」
そして、一人の生徒が次のように話した。
「前回、保護者の方が原爆が落ちたおかげで戦争が終わった~という考えが
私たち若い人間の中に増えていて怖いと言われました。
その後、いろいろ調べて、自分で自分の考えをもたなくてはならない。
そのためには、知らないことを知らなければいけないと思いました。
それで、今回も 原爆のお話を聞いて自分の知る手がかりにしたいと思いました。」
この講座を受講している高校生は
本当に たくさんのことを 学んでいるのだと感じた。
わずか、2時間に満たない講座を2回。
その中で、
おとなたちが伝えたいことを しっかりと受けとめることのできる
心の柔らかい少年少女たちが存在していることに 感慨を覚えた。
そして、ただの母親である私が
”’「お母さんとして 我が子たちに 伝えたい 怖いと 感じること」”’
を、血のつながりはない子どもたちにさえも、
伝えられたことが大変嬉しかった。
高校の社会の先生は22年間、
様々なご自分の勤務される高校で
被爆体験をされた方の声を、生徒たちに伝える機会を設けている。
「先生。高校生も 捨てたもんじゃありませんね」
「そうですよ。高校生って まだまだ いろいろなことを 素直に吸収してくれます」
子どもは素直だ
おとなの 真剣な思いは 必ず受けとめてくれる。
おとなは 真剣に 生きなければならない
真剣に 伝えなければならない
そんなことを感じて、
家路に向かう時
晴れた遠くの空に、
山々の連なる稜線が くっきりと 美しく 映し出されていた。
未来ある 尊い魂を持つ 若い人に
この自然の美しさを 見てもらいたいと思った。
※ 2022年2月追記 : この講座の時、「本当は思い出したくもない記憶だけど、やっぱり伝えないといけない」
そう言われておられた木村さんが、ずっと語り部を続けていらしたことを知った。
闘う時 は 今も続いている。
TBS (TBC 東北放送) 2010年9月5日放送 「報道の魂」
朝日新聞 2021年5月24日 核といのちを考える 「仙台で平和祈念式典」
朝日新聞 2021年10月31日 核といのちを考える 「生き残った者の責任」
参考 : 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
お時間ございます方は、
COCORO にある FOR WHOM THE BELL TOLLS – 誰がために鐘は鳴る の
拙文をお読みいただけましたら幸いです。
特に 教育 を テーマに記した 拙文については こちら を ご高覧いただけましたら幸いです。
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